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「おおあめ」の「おお」はなぜ「大」?

子どもが質問します。
「おおあめ の おお は 大? 多?」

「大だよ」
と答えればすぐ済みます。
しかし、これでいいのでしょうか?

前項の「大事なのは、答えではなく問い」の続きです。

「おおあめってどんな雨だろう?」
「ザーザーいっぱい降る雨」
「ザーザーいっぱい降る雨は、大量の雨? それとも多量の雨?」
「わかんない・・・」
「わかんないよね。こういうとき”大量”か”多量”かは、ルールがあるんだって。だから、そのルールをおぼえておこう」
「うん」
「めちゃめちゃいっぱい、どれくらいか分からないときは大量。多いけど、測れそうだなってときは多量。だから、雨がどれくらい降ったかもう分かんないってときは?」
「大量」
「そう、大量の雨だから、大雨。では、鼻血がいっぱい出たときは、大量? 多量?」
「大量!」
「鼻血はいっぱい出ても、何㏄出たかとか、測ろうと思えば測れるよね」
「じゃ、多量?」
「そう、”多量の鼻血が出た”。大量の鼻血はヤバい。どれだけ鼻血が出たか分からいなんてときは、もう救急車を呼ぶしかない」
「死んじゃうかもね」
「では、お寿司をたくさん食べたときは、大量? 多量?」
「多量!」
「うん、正解。でも、”大量にお寿司を食べた”も間違いではない」
「なんで? お寿司は数えられるよ」
「大げさに言うときは、大量を使ってもいいんだ」
「大げさに言うって?」
「死ぬほどお寿司を食べたとか。死ぬほどっていうけど、お寿司を食べすぎて死んだ人とか聞いたことある?」
「ない」
「表現するときには、そういう大げさな表現を使うときがある。昔、中国の詩人がもうワシはじいさんになって白髪が”三千丈”も伸びちゃったよー、と言ったの。三千丈って、長さで言うと9キロメートル」
「9キロメートル!」
「そんな、バカな!? というハナシだよね。でも、それは大げさな”表現”ということでアリ」
「ふーん」
「言葉には、正しい正しくないということと、表現としてアリかナシかという二つの物差しがある。そこが言葉の難しいところ」


というふうに噛んで含めれば、「大量と多量」が一生身に付くと思いませんか?

学びは「体験」にしなくてはいけません。
どんどん漢字を機械的に書いて、どんどん計算問題をこなしていく、そういう学習法は嫌いです。いや、私の趣味嗜好ではなく、本当に考える力が身に付かないと思います。


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大事なのは、答えではなく問い

子どもに答えを教えるのはカンタンだ。誰にでも出来る。

しかし、受動的に教わった答えは身に付かない。
良い指導者は、答えを導き出す「問い」を出す。その行為をファシリーテーションと言っても良い。
上手に教えられる人は、有能なファシリテーターでもあるのだ。

それが子どもに対して出来るかどうか。
それをファシリテーションの環境の中で教わることが出来た子どもは幸せである。

サッカーの試合などで、ヒステリックに1~10まで指示を出しているコーチいますよね。あれでは、子どもは自分で考えません。伸びません。日本には、残念な指導者がまだまだ多い。

おやつの時間

おやつの時間です。


大学いも、みんな食べるー?

なにそれ? 食べないーー!


後日。

キャラメルポテト、みんな食べるー?

なにそれ! 食べるーー!


同じものです(笑)。
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