つまらない子どもをつくっているつまらない大人

五味太郎さんの「子どもが大人に受ける解答をして、それで大人が喜んでいるのが気持ち悪い」という意見がネットで上がっていました。

具体的には以下です。

「雨が降ってお母さんたちが傘を届けに来てくれる。私のお母さんは仕事で来られない。私は『お母さんが頑張っているんだから私も頑張ろう』と思って友だちの傘に入れてもらって帰りました」

これはテスト教材にあった文章だ。問題は「この文章を読んで50字以内で感想文を書きなさい」
ある生徒は「別に。」とだけ書いた。
教材についていた模範解答は「我慢したことに感動した」とか「優しい友だちに感動した」とかで五味太郎氏は「大人用の答えを模索していた。

これに対しての五味さんの感想です。

感想文といえば何を書いていいか分からず非常に苦労したという思い出を語る人が多い。算数のように何か正解があるわけではなく、何を書いてもいいという自由さが思考を停止させる。しかし、これがもし感想文という形ではなく、友だちとの会話だったらどうだろう?
上記の傘のエピソードでいえば、子どもたちはもっと率直に感想を言い合うはずだ。それが学校で机に向かって書く形式になると途端に書けなくなるのはまさに大人用の答えを模索することを強要されているからに違いない。そう教え込んだのは大人たちの学校教育だ。

抜粋、以上。

たしかに、そうですね。
こう書けば大人は喜ぶんでしょ、という内容を書く子は多い。そして、それを良しとする大人がいます。
これが、子どもをつまらなくするんですね。
大人は猛省しなければいけない事実だと思います。
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「おおあめ」の「おお」はなぜ「大」?

子どもが質問します。
「おおあめ の おお は 大? 多?」

「大だよ」
と答えればすぐ済みます。
しかし、これでいいのでしょうか?

前項の「大事なのは、答えではなく問い」の続きです。

「おおあめってどんな雨だろう?」
「ザーザーいっぱい降る雨」
「ザーザーいっぱい降る雨は、大量の雨? それとも多量の雨?」
「わかんない・・・」
「わかんないよね。こういうとき”大量”か”多量”かは、ルールがあるんだって。だから、そのルールをおぼえておこう」
「うん」
「めちゃめちゃいっぱい、どれくらいか分からないときは大量。多いけど、測れそうだなってときは多量。だから、雨がどれくらい降ったかもう分かんないってときは?」
「大量」
「そう、大量の雨だから、大雨。では、鼻血がいっぱい出たときは、大量? 多量?」
「大量!」
「鼻血はいっぱい出ても、何㏄出たかとか、測ろうと思えば測れるよね」
「じゃ、多量?」
「そう、”多量の鼻血が出た”。大量の鼻血はヤバい。どれだけ鼻血が出たか分からいなんてときは、もう救急車を呼ぶしかない」
「死んじゃうかもね」
「では、お寿司をたくさん食べたときは、大量? 多量?」
「多量!」
「うん、正解。でも、”大量にお寿司を食べた”も間違いではない」
「なんで? お寿司は数えられるよ」
「大げさに言うときは、大量を使ってもいいんだ」
「大げさに言うって?」
「死ぬほどお寿司を食べたとか。死ぬほどっていうけど、お寿司を食べすぎて死んだ人とか聞いたことある?」
「ない」
「表現するときには、そういう大げさな表現を使うときがある。昔、中国の詩人がもうワシはじいさんになって白髪が”三千丈”も伸びちゃったよー、と言ったの。三千丈って、長さで言うと9キロメートル」
「9キロメートル!」
「そんな、バカな!? というハナシだよね。でも、それは大げさな”表現”ということでアリ」
「ふーん」
「言葉には、正しい正しくないということと、表現としてアリかナシかという二つの物差しがある。そこが言葉の難しいところ」


というふうに噛んで含めれば、「大量と多量」が一生身に付くと思いませんか?

学びは「体験」にしなくてはいけません。
どんどん漢字を機械的に書いて、どんどん計算問題をこなしていく、そういう学習法は嫌いです。いや、私の趣味嗜好ではなく、本当に考える力が身に付かないと思います。


大事なのは、答えではなく問い

子どもに答えを教えるのはカンタンだ。誰にでも出来る。

しかし、受動的に教わった答えは身に付かない。
良い指導者は、答えを導き出す「問い」を出す。その行為をファシリーテーションと言っても良い。
上手に教えられる人は、有能なファシリテーターでもあるのだ。

それが子どもに対して出来るかどうか。
それをファシリテーションの環境の中で教わることが出来た子どもは幸せである。

サッカーの試合などで、ヒステリックに1~10まで指示を出しているコーチいますよね。あれでは、子どもは自分で考えません。伸びません。日本には、残念な指導者がまだまだ多い。

おやつの時間

おやつの時間です。


大学いも、みんな食べるー?

なにそれ? 食べないーー!


後日。

キャラメルポテト、みんな食べるー?

なにそれ! 食べるーー!


同じものです(笑)。

子ども特有の才能

どうも話が通じない、という時があります。何を言っても聞いてくれない。何なんだ、この子は? と思ってしまいがちですが、こういう時は、大人のコミュニケーションに問題がある場合があります。

子ども特有の才能一つに「自分にとって不利益な情報を瞬時にシャットダウンできる」という力があります。この人の話は聞きたくない、と思うとその人の声は聞こえなくなるのです。同じ人でも、この人のこういう類の話は聞きたくない、というモードに入ったらその時点でその人の話はシャットダウンされます。
これは、ストレスに弱い子どもの特殊能力のような気がします。または、危険の多い現代の子どもの護身能力かもしれません。ネガティブな大人・ネガティブな発言から、こうやって子どもは自分の身を守るのです。
大人は、子どものその特性を考えて話をしなければいけません。それには、まず受け入れられることです。この大人は自分にとって有益である、と判断されることです。その前提がない限り、子どもは大人を受け入れません。

子どもを説得するには三段階が必要になります。
1)まず受け入れられること。味方であると思ってもらうこと。この大人の話はタメになると思われること。
2)その次に、注意や矯正してほしい点を挙げます。これは命令ではなく、お願いまたは推奨であることが大事です。
3)そうすると、もっといいことが起きることを伝えて後味をいいものにします。

以上です。
面倒くさいですよね?(笑)
でも、これをしないと今の子どもは付いて来てくれません。
教育の仕事が重労働と言われるようになったのは、こういう側面もあります。

ストレス連鎖社会

アートセラピーのクラスで、始めに子どもたちのご機嫌を聞きます。そうすると、たいていの子が今日あった嫌なことを思い出して不機嫌マークを上げます。そんなに、みんなストレスがあるの?と疑問ですが、詳細を聞くと先生に怒られた、友だちにいやなことを言われた、お母さんに怒られた、宿題がいやだ、等々理由多数。。。
たしかに、昔の子どもに比べて今の子どもはストレスが多いかもしれません。原因の第一は「自由度が低い」ということだと思います。ルールが多い、遊べる場所も少ない、習い事などで時間がない、など。

しかし、ここからは私見ですが、大人のストレスが子どもに連鎖しているような気がしてなりません。大人というか、社会ですね。
社会が弱肉強食になり過ぎている、先生も、社会人もそのしわ寄せに苦しんで、日常生活のストレスが増えている、その大人のストレスが子どもに伝染しているのだと思います。
簡単に言うと、大人や親が子どもに八つ当たりしている図式です。

いじめの時にも書きましたが、大人のいじめがなくならない限り子どものいじめもなくなりません。同様に、大人がストレスなく幸せを実感しない限り、子どもも幸せを感じないのではないでしょうか。
この連鎖はいつか断たないといけません。

しかし、断てない場合はどうするか?
もうこれは、ストレスと上手く付き合うしかありません。
社会のストレスが増えるにつれて、反対に私たちのストレス耐性はどんどん下がっていると思います。
スタンフォード大学のケリー・マクゴニガル先生は、「ストレスの捉え方で、身体への影響力が変わる」と言っています。ストレスは実は、身体の細胞を活性化させる「良いもの」なのです。
そうですよね。勉強をする、スポーツをする。ストレス(負荷)をかけなければ人間は向上しません。
ストレスと上手に付き合うのは、これからの「生き抜く知恵」のように思います。

これは泣きますよ

小学生の詩です。


きょうは あさ はやくから
べんきょうを した。
みんな やった。
これは きっと ほめられると
おもった。
どんなに ほめられるのかなあと
おもった。
ほめられたら いいのになあと
おもった。
にこにこして、おかあさんに
見せたら
おかあさんは、ほめてくれなかった。
「土よう日の ぶんも しなさい。」
と はんたいに おこった
わたしは なきました。


癪に触って誉めたくない時もあるでしょう。
でも、子どもは(特に低学年は)誉めることでしか伸びません。

許可を求める子

アフタースクールの日常の中で、何かをしたい時許可を求めてくる子がいます。
「ボール遊びしていい?」「積み木やっていい?」など。いまそれをしていいタイミングなのかどうか量りきれないということなのでしょう。この推量の感覚がちょっとずれている子がいます。明らかにダメな時に「野球していい?」とか。いやいや、みんな今おやつ食べてるよね? という話です。さらに、許可を求めるまでもないのに許可を求めてくる子もいます。「水飲んでいい?」とか「トイレ行っていい?」とかです。プログラム中はこういう配慮は必要ですが、自由時間でも細かに許可を求める子がいるのです。

賢さのひとつの定義に「正しく状況判断が出来る」というのがあると思います。
状況判断力は自分のアタマで考えるクセをつけないと育ちません。
いつも、お母さんに訊いているんでしょうか?
お母さんにお伺いを立てないと怒られるのでしょうか?
そんな家庭の中が垣間見えてくるようで、ちょっと怖いです。

自分のアタマで考えるということは、それに基づいた行動を取った時、その責任も自分で負う、とういうことなのです。
子どもには責任が取れない・取らせないではなくて、自分の行動に責任を取らせることを習慣づけたほうがいいですね。
宿題をやらずに先生に叱られたら、それは自業自得です。
宿題をやれって言わなかったお母さんが悪い、などと言っている子がいそうです(笑)。

スタッフ採用の基準

運営が難しいと巷間言われる民間学童クラブ。その最大のネックはスタッフ(指導員)の確保だと思います。保育士や小学校教諭免許保持者には来てほしい。しかし、それらの資格があれば保育園や小学校の方が断然稼げる。つまり、優秀な人材を繋ぎとめるだけの待遇を与えられないことが問題です。
民間学童保育というのは、やはりまだ「ベンチャービジネス」です。その中で自分なりに「起業精神」みたいなものを培っていけるかどうか、が続けられる秘訣かもしれません。

それでもスタッフの応募は少なくありません。どういう観点で採用をしているか、を今日は開陳します。
まず第一に「コミュニケーション能力」です。こちらの質問に正面できちんと答えられるか、質問に対する答えが的を射ているか、ですね。次は「臨機応変」かどうか。子どもの対応は予測不能なことが多いです。その不測の事態におろおろしててはダメです。咄嗟の判断が必要になります。「臨機応変」かどうかは、突飛な質問をしたり、敢えて下足のことや座る場所について話さなかったり、時には玄関のカギを開けずにどうするか見ていたり(笑)します。
ある時、遅刻をしてきた青年がいました。1~2分なら時計が遅れていることもあるので許しますが、10分遅れていました。彼は道に迷って遅れたことを詫びましたが、面接せずに失格にしました。時間に遅れそうだったら電話すればいいのです。時間に遅れるかもしれない、遅れた場合どこに電話すればいいか、事前に調べておけば済む話です。道に迷いながら10分もウロウロしていた人に「臨機応変」を求められないので失格という訳です。
三つ目は「子どもにウケル人かどうか」。これは話していれば分かります。子ども目線でお話ができるかどうか、ということです。
ここで迷った場合は、実地試験をします。3時間ほど勤務体験をしてもらいます(もちろん有償で)。
これも、ある人の場合、子どもたちが入室してきたときに「こんにちは~」と声をかけたのに、次々と無視されてしまったのです。子どもは瞬間で、この人が「子ども向きではない」ことを察知しました。

採用の基準はだいたいこの三つです。これをクリアしていれば、資格とか学歴には拘りません。さらに望むのは、「全体を配慮できる」ことですね。一対一の対応だけなら楽ですが、全体を一度に相手しなければいけない時もあります。また誰かと相手している時に、遠くの誰かが何をしているか目の端で見れるか、声をきちんと聞いているか、重要なスキルです。経験がないとなかなか難しいです。以前、ベテランの元幼稚園の先生が居たことがあります。一人で15人までなら見れます、と言ってくれましたが、実際その通りでした。私自身も一度だけスタッフ二人が同時に休み、一人で15人見ていたことがありました。どうなることかと不安でしたが、やってみれば意外と出来たので、この時の経験は逆に自信になりました。人間、時々大きな負荷をかけないと成長しないということですね。

最後に、面接でこういう人はだいたい落とします。
「私は、子どもが大好きです!」と目をキラキラさせながら言う人(笑)。子どもを偶像化し過ぎる人ですね。こういう人は、すぐ疲弊します。子どもが嫌いではこの仕事は出来ないでしょうが、子どもも大人と一緒です。いい子ばかりではありません。かわいい子も、かわいくない子もいます(笑)。そういうことは、この仕事をする上で理解していてもいいと思います。
では、かわいくない子にはどういう指導をしているか? それはまた次回。

子どもは怒っている

時々、子どもたちの精神状態を聞きます。すると、半分以上の子が何らかのことに怒っています。
そして、怒っている子は怒られることが多いようです。誰に怒られるの、と訊くと、1位はお母さん、2位は先生でした。
きっと、お母さんと先生も何かに怒りがあって、つい子どもに矛先が向いてしまうのでしょう。
大人なら誰しも、終日ご機嫌に過ごすということはないでしょう。特に仕事をしていれば、お母さんだって先生だって理不尽な目に遭います。余裕がなくなります。私は忙しいんだから、このくらい自分でやりなさい、という怒りの連鎖です。

しかし、子どもたちがこうも不機嫌というのはいまだかつてあっただろうか、と暗澹たる思いになります。何度も申しますが、子どもは大人の鏡です。大人がいじめをしていれば子どももいじめをします。(大人がいじめをやめない限り、子どももいじめをやめません)
大人が終始不機嫌だから、子どもにもその不機嫌が伝染るのでしょう。
もちろん、子どもは大人とは違い、ちょっとしたことで機嫌を直してくれます。
子どもは既に十分なストレスにさらされているので、これ以上ストレスをかけないよう配慮するのが、子どもと接する者の務めだと思います。

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和の助

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