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インフルエンザにならない方法

インフルエンザ、だいぶ終息してきたかなぁと思いますが、今日は私が実践しているインフルエンザにならない方法を開示いたします。
①キエルキン
非常に多用していますす。次亜塩素酸ナトリウム水溶液ですね。詳細は以下。
キエルキン
空間洗浄、食器、手洗いなどに1日500㏄くらいは使います
②加湿器
やはり乾燥は敵です。
③換気
1時間に1回くらいやります。
④嚥下
水でも良いのですが、私はカテキンウォター(またはお茶)を飲んでいます。20分に1回喉を潤す程度で大丈夫です。
⑤半身浴
1時間ほど入ります。体温を上げるようにします。
⑥免疫アップ
運動と免疫をアップさせる食材を摂るようにします。そして身体を冷やさないようにすること。

だいたい以上の6つです。これでここ8年くらいはインフルエンザには罹っていません。風邪になっても寝込むことはありません。
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気づかせる

物事を習得しやすい状況をつくるには、教えるのではなくいかに自分で気づけるかが大事です。
自分で気づいたことは教えられたことより定着率が高いです。

将棋の故大山康晴十五世名人はアマチュアの指導に定評があったといいます。
指導対局では、相手に有利な局面にわざと導き、好手が出やすいようになさったそうです。そうしておいて、「あっ、飛車があったか・・・」などと独り言をつぶやいたとか。独り言を装って、さりげなく相手に「次にいい手があるよ」「よく考えてね」と伝えたわけです。

こういう工夫を、教える立場の人は常に考えなくてはいけません。

メタ認知能力

宿題をやらない子どもは、メタ認知能力が低い。

本音を言うと、宿題なんかなくてもいいと思います。まあ、でもなくならないでしょうから、うだうだ言わずにさっさとやっちゃうのが正しい取り組み方です。宿題なぞに、長い時間かかずりあっているのは時間が勿体ないです。嫌だ嫌だ言ってる暇があったら、早く終えて遊んだ方がいいのです。
という構図を理解できるかどうか? それがメタ認知能力です。それを理解している子は、パッとかたずけて遊んでいます。

震えるような体験

花まる学習会の高濱先生の言葉です。
「私の経験上、心の底から震えるような体験をした人は、くだらないことをしなくなります。深い感動を知っていると、つまらないことをしたくないって思いますよ」

すごく共感しました。
なんで、この子はくだらないことばっかりやるんだろう?
くだらないことをくだらないと思える経験値がないんですね。
ゲームばっかりしてる子も、リアルでの感動体験が少ないんです、きっと。小学生のうちに、どれだけ子どもと感動できる大きな体験ができるかどうか。将来に関わります。

全体を見る

学校や習い事などで、自分の子どもしか見てない人がいます。
運動会で子どものアップばかり撮影してるような親です。
自分の子どもはかわいい。大事だ。でも、もっと全体を見ないと。
全体のクオリティを上げようという目線を持たないと、自分の子どものクオリティも上がらないのです。

嫌なことはやらなくて結構

親野智可等先生の記事から。同意です。

以下引用
無理やり、嫌なことをやらせてばかりだと、本当の頭の良さにはつながらないのです。夢中になって一つのことをやっているときに、思考力も集中力も、創造力も表現力もつく。もちろん、記憶力や情報処理能力もそうです。子どもの能力の発達というのは、それぞれがバラバラに伸びるのではなく、一つのことで総合的に伸びていくものなのです。しかも、有機的なつながりを持って伸びていく。こういったことを、ぜひ皆さんには知っておいていただきたいと思います。以上

小学生の習い事は多岐に渡ります。何をしなければいけないとか、何をしたほうがよいとか、そんなことはありません。お子さんがやりたいと思ったことをやらせてあげてください。
お子さんがやりたいのなら、幼少期からの英語教育、CMをたくさんしている大手のドリル学習、●田式(笑)でも、何でもやらせてあげればいいと思います。でも、無理やりやらせたらダメです。百害あって一利なしです。
たまに、うちの子は宿題もしないし、習い事もしない、どうすればいいでしょう? という相談をお受けしますが、宿題をやりたくないのは勉強が嫌いかつまらないかのどちからか、もしくは両方です。嫌々宿題をやって勉強が嫌いになるくらいなら、先生に言って「うちの子には宿題出さないでください!」と言うのもアリだと私は思います。

しかし、宿題は何のためにやってるのかを違う角度で捉えてみることも必要です。あれは一つの耐性強化訓練です。ガマンになれる練習なのです。がまん力(耐性)は20代を過ぎると付かないそうです。だから、10代のうちに部活や団体生活で「世の中の理不尽」を学ぶのです。10代のうちにそれを学んでおかないと、大人になってから仕事も辞めて、結婚も出来ず、結婚しても離婚して、という大人になります。
だから、宿題なんかに時間を取られてたまるか、という気概で5分でかたづけるのが正しい宿題の対応です。みんなの学校にも、嫌だ嫌だと言いながら1時間も宿題をやっている子が何人かいます。遊ぶ時間がなくなります。勿体ないです。

習い事に関しては、気が進まなければやらなくて結構でしょう。で、始めてみたけど嫌がった、という場合も無理して続けることもないでしょう。また何か興味が湧いたことをやらせてあげてください。それも嫌なら、その次のこと。というスタンスでいいと、親野先生と同じく私も思います。

新1年生

4月になって新1年生がたくさん入ってきてくれました。みんな個性的で面白いです。今年度は、プレスクールを3回行いお子さんも保護者の方もみんなの学校を積極的に選んで入ってくれた方が多数なので雰囲気が良いです。昨年度は違ったのか、と突っ込まれそうですがそんなことはありません(笑)。
たまに、公設学童に入れなくて仕方なく(高いけど)、みんなの学校に入るという方もいらっしゃいます。そういう方は、やはり何と言うか、違います(笑)。
今年は、公設学童に一旦入ったのだが馴染めず、みんなの学校に移ったという方もいて、まあ、そりゃそうでしょう(笑)。公設学童は居るだけですからね。あんまり本音を言い過ぎると嫌われるのでこの辺にしておきます(笑)。

宣伝も営業もせず今年はほぼ満席になりました。早くも来年度の予約のお電話もありますが、このままでは多くの方を受け入れることができません。夏までには対応策を決めなくてはいけません。

つまらない子どもをつくっているつまらない大人

五味太郎さんの「子どもが大人に受ける解答をして、それで大人が喜んでいるのが気持ち悪い」という意見がネットで上がっていました。

具体的には以下です。

「雨が降ってお母さんたちが傘を届けに来てくれる。私のお母さんは仕事で来られない。私は『お母さんが頑張っているんだから私も頑張ろう』と思って友だちの傘に入れてもらって帰りました」

これはテスト教材にあった文章だ。問題は「この文章を読んで50字以内で感想文を書きなさい」
ある生徒は「別に。」とだけ書いた。
教材についていた模範解答は「我慢したことに感動した」とか「優しい友だちに感動した」とかで五味太郎氏は「大人用の答えを模索していた。

これに対しての五味さんの感想です。

感想文といえば何を書いていいか分からず非常に苦労したという思い出を語る人が多い。算数のように何か正解があるわけではなく、何を書いてもいいという自由さが思考を停止させる。しかし、これがもし感想文という形ではなく、友だちとの会話だったらどうだろう?
上記の傘のエピソードでいえば、子どもたちはもっと率直に感想を言い合うはずだ。それが学校で机に向かって書く形式になると途端に書けなくなるのはまさに大人用の答えを模索することを強要されているからに違いない。そう教え込んだのは大人たちの学校教育だ。

抜粋、以上。

たしかに、そうですね。
こう書けば大人は喜ぶんでしょ、という内容を書く子は多い。そして、それを良しとする大人がいます。
これが、子どもをつまらなくするんですね。
大人は猛省しなければいけない事実だと思います。

「おおあめ」の「おお」はなぜ「大」?

子どもが質問します。
「おおあめ の おお は 大? 多?」

「大だよ」
と答えればすぐ済みます。
しかし、これでいいのでしょうか?

前項の「大事なのは、答えではなく問い」の続きです。

「おおあめってどんな雨だろう?」
「ザーザーいっぱい降る雨」
「ザーザーいっぱい降る雨は、大量の雨? それとも多量の雨?」
「わかんない・・・」
「わかんないよね。こういうとき”大量”か”多量”かは、ルールがあるんだって。だから、そのルールをおぼえておこう」
「うん」
「めちゃめちゃいっぱい、どれくらいか分からないときは大量。多いけど、測れそうだなってときは多量。だから、雨がどれくらい降ったかもう分かんないってときは?」
「大量」
「そう、大量の雨だから、大雨。では、鼻血がいっぱい出たときは、大量? 多量?」
「大量!」
「鼻血はいっぱい出ても、何㏄出たかとか、測ろうと思えば測れるよね」
「じゃ、多量?」
「そう、”多量の鼻血が出た”。大量の鼻血はヤバい。どれだけ鼻血が出たか分からいなんてときは、もう救急車を呼ぶしかない」
「死んじゃうかもね」
「では、お寿司をたくさん食べたときは、大量? 多量?」
「多量!」
「うん、正解。でも、”大量にお寿司を食べた”も間違いではない」
「なんで? お寿司は数えられるよ」
「大げさに言うときは、大量を使ってもいいんだ」
「大げさに言うって?」
「死ぬほどお寿司を食べたとか。死ぬほどっていうけど、お寿司を食べすぎて死んだ人とか聞いたことある?」
「ない」
「表現するときには、そういう大げさな表現を使うときがある。昔、中国の詩人がもうワシはじいさんになって白髪が”三千丈”も伸びちゃったよー、と言ったの。三千丈って、長さで言うと9キロメートル」
「9キロメートル!」
「そんな、バカな!? というハナシだよね。でも、それは大げさな”表現”ということでアリ」
「ふーん」
「言葉には、正しい正しくないということと、表現としてアリかナシかという二つの物差しがある。そこが言葉の難しいところ」


というふうに噛んで含めれば、「大量と多量」が一生身に付くと思いませんか?

学びは「体験」にしなくてはいけません。
どんどん漢字を機械的に書いて、どんどん計算問題をこなしていく、そういう学習法は嫌いです。いや、私の趣味嗜好ではなく、本当に考える力が身に付かないと思います。


大事なのは、答えではなく問い

子どもに答えを教えるのはカンタンだ。誰にでも出来る。

しかし、受動的に教わった答えは身に付かない。
良い指導者は、答えを導き出す「問い」を出す。その行為をファシリーテーションと言っても良い。
上手に教えられる人は、有能なファシリテーターでもあるのだ。

それが子どもに対して出来るかどうか。
それをファシリテーションの環境の中で教わることが出来た子どもは幸せである。

サッカーの試合などで、ヒステリックに1~10まで指示を出しているコーチいますよね。あれでは、子どもは自分で考えません。伸びません。日本には、残念な指導者がまだまだ多い。
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和の助

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